バカな客が増えていることについて。その一例。
最初に言っておきますが、オレは、客に媚を売ることはしません。
有難いと思った場合、素直な感謝や、こちらに不備があった場合、謝罪はしますが、客に必要以上の媚を売る必要はないと思っていますし、客を神様扱いする必要などない、と思っています。
まあ、そんなことは言うまでもないかと思いますが。
ただ、よく、少女単体に対して、「客をバカにしたことをやってる」とかいう批判があるのですが、オレはそうゆうことをしているつもりはない。「挑発的」と言われるのも、オレには違和感がある。
なんでそうムキになるのかが、オレには、わからん。まあ、オレがリアルな存在でなければ、そう思われることもないわけだから、あながち悪い意見でもないのかもしれないけど。だが、別にオレは「リアル」なんか、やりたくもねーぜ。今、演劇で流行ってるらしいけどね。オレは「リアル」売りにしてる劇団には何も期待してないぜ。オレは、第二回公演の「少女単体」でも言った通り、「21世紀にリアルは、ない」という思想の持ち主なのでな。

まあ、平たく言うと、思考力が弱い客が、あまりにも多すぎる、ということ。
今、こうゆうことを書くと、動員数に影響するかもしれないけど、客が大勢入ってくれればそれでOKという訳ではないはずなので、素直に書く。
オレは、もっと頭のいい客に入って欲しい。頭のいい、というか、柔軟で素直な客、だね。
正直な気持ちは、それだ。
そうゆう客が、今、すごく減っていると思う。

客のレベルはどんどん低下していると思う。
それは、背景に、資本主義に移り変わろうとする中で、商業を目的とした、わかりやすく、大衆向けの、考える必要のないエンターテインメントが増えたからということもあると思うが、情報化社会の中で、大衆が、とにかく、楽をすること、手軽に物事を得ることが習慣になったことも大きな要因ではないかと思う。
オレは、資本主義も、情報化社会も、それが決してヨシとは思えない。だから、それに迎合したことは、なるべくしたくはない。
もちろん、オレもインターネットで情報を配信しているし、得ている。便利だし、利点もたくさんあることは確か。ただ、それに飲まれてしまっていいものか。オレは、それに違和感があるのよ。
リアルな芝居なんてものが流行っている背景も、現代の日本において、リアルがどこにあるのかわからなくなっているからじゃないのか。
オレは、リアルな芝居とか言われる劇団の公演をいくつか観たけど、どれも、「なにが?」と思う内容だったけどね・・・。ナチュラルをリアルだと履き違えてんじゃないのか?と。もっと広い視野での「リアル」を期待していたオレとしては、肩透かしであった。それを観た客も、ナチュラリズムをリアリズムと間違えて評価しているのでは、と思うと、そのことが少々恐ろしかった。
まあ、他所のことはいい。余計なお世話だな。問題は、うちだ。

以下に、「バカな客」の具体的な一例を、挙げてみる。
以前、無料シークレットライブ「料理教室」というのをやったんだが、これは、完全にシークレットで行われたもので、事前に公に情報を公開することなく、行われたものだった。
では、客はどう集めたのかというと、一つは、メールマガジンでこっそり情報を流して募った。もう一つは、ネット上のブログやホームページなどで「演劇の感想」を書いている人、その中で、連絡先の記載のある人物を選んで、メールした。「招待」という形でメールを送り、誘った。なぜこうゆう人たちにわざわざ「招待」メールを出したかというと、今回は、シークレットということで、「こうゆう公演をした」という記録が残らないかもしれないと思ったから、ネット上で感想なりなんなりを書いている人物なら、観た内容を、きっとネット上に書くだろうと、客を使って、記録を残させよう(宣伝も含め)、という戦法からだった。
まあ、シークレットライブは、そういった「メール」により情報を得て、当日集まった人々が、客だったというわけ。
メールも、開催日の数日前にギリギリに送ったので、集まった客は10数名しかいなかった。しかも、開催日時は、平日の17時くらいからだったと思う。ギリギリの宣伝にも関わらず、しかもこんな日時で、10数名も人間が集まったことが、オレには驚きだった。世の中は暇人が多い・・・
実際、「こんな急じゃ、行けるわけねぇだろ!」とお叱りを受けたりもした。それが普通だよな・・・。
まあ、それくらい、内密に行われたシークレットライブであったということ。なぜその必要があったのか、観てくれた方にはわかったと思うけど。

・・・で、そのライブの内容。
途中、映像を流した。15分程度のものだ。内容は、シークレットライブを行うに至った理由、その説明としての映像だった。
で、その映像の中で、私が友人に相談の電話をかけているシーンがあったのだが・・・
前置きが長くなったけど、ここからが「バカな客の一例」の本題。
客の一人が、その人のブログで、このシーンを「苅谷が電話で喋ってる一人芝居をしてた。へったくそな演技!(嘲笑する書き方)」というように書いていた。
このシーンでは、電話先の相手の声はカットされているが、オレが現実に友達に電話していることは、事実であり、現実に行われていた行為である。
その行為を、そのままカメラに収め、その部分をシーンに使用しただけのことなのである。(つまりは、ドキュメンタリーという手法。)
オレは、現実に電話で会話をしているわけだから、「ヘタクソな演技」といわれても、これは「現実」であって、演技ではないので、ヘタクソも何も、ない。現実をヘタと言われても、ねぇ・・・。
きっと、この人は、オレの喋り口調が、セリフ口調に映ったのであろう。そのことから、「これは演技である」という先入観を抱き、なんの根拠かは知らないが、素人が玄人ぶった「ヘタクソ」という言葉を使ったのだと思う。
明らかに、目が節穴の客である。
こちらが客を選べる権利はないとはいえ、やはり、ガッカリするのは事実。
こんなレベルの低い人が、無料でうちの公演を観れるとは・・・、ってのが本音だねぇ・・・。(ちなみに、オレはこのシークレットライブをやるだけのために、20万以上使っているわけだけど。)
そして、これを読んだ人で、「へぇ〜そうなんだ!」と、納得してしまう人がいるかもしれない、ということが、非常に残念。
前々から言ってることだけど、なぜ、どこの馬の骨かもしれない奴が主観で書いた文章を信じ込む人が多いんだろうか?オレにはわからない。もっと、しっかりした判断力をもってくれ。ここでも、思考力の低下が伺える。
(もう一つ補足すると、電話するシーンを他人が見た場合、一方の声だけしか聞こえないという状況の場合は、それが演技調に映る、という事実がある。これは、電話というものが、フェイスtoフェイスではないからである。相手の顔を見て話さない場合、相手の顔を見て直接会話するそれとは状況が異なるため、話し方も変化するのは、必然。具体的には、かつぜつが良くなったり、声が大きくなったり、抑揚をつける喋りになったり、とかである。芝居で、電話するというシーンがある時、相手方がいない場合の演技は、少々難しい。ナチュラルな喋り口調にすると、それは現実的ではない、という場合がある)

――ちなみに、話はそれるが、オレがその感想が書かれているブログを読んだのは、その記事が掲載されてから1年以上も経ってからだった。
理由は、その人は、ブログ内で、オレのプライバシーを侵害する内容を書いていて、そのことを、よその人から教えてもらったからだった。「これ、いいの?」との報告を受けて、知ったのだ。だが、その人は、ブログに連絡先を記していなかった(シークレットライブに招待した人が、自分は行けないので、代わりに、と、招待を譲った相手がその人だったようだ。そのため、連絡先が不明だった。)ので、連絡先を割り出すことから始め、どうにか、直接本人とコンタクトを取ることに成功した。
削除して欲しいと申し出たら、それには応じてくれたわけだが・・・しかし、人のプライバシーを無断でネット上に書くというその神経は、決して許せるものではなかった。その人は、ブログ上で私に対する謝罪の文章を掲載したが、謝って削除するくらいなら、最初から書くなよ!なぜ、そんな分別もつかないんだ?――

話が少し脱線したが、このように、一例をみても、客のレベルが下がっていることがわかる。
現実を現実とも見れない・・・
確かに、演技か素なのかわからない、という現象は、受け取り手にはよくあることだけど。現実を「ヘタクソな演技」というのは、意味がわからない。
現実がヘタって、どうゆう意味か?
これは、「ナチュラルな演技をすること」イコール「上手い演技」だという最近の演劇の流行に、客が飼いならされて、思い込まされているという理由もあると思う。
前述したように、ナチュラルとリアルは違うんだよ。
ナチュラルだと思ってやった演技が、実は、現実では起こらない不自然なことだってあるわけで。
現実を現実とみれない、という現象の裏には、やはり資本主義と情報化社会の影響があると思う。
情報と情報のやり取りの中に「リアル」を見ているというのが、日本の現代人の人間関係ではないのか・・・?
あのね、「現実」は、演技をする以上に演技的だし、演劇以上に、演劇的だよ。
オレはそう思うし、実際に、そうだ。

――で、またちょっと話はそれるが、上記の「節穴のお客さん」の謝罪文であるが、オレがこの掲載を確認し、それを掲載することをヨシとした理由は、こういったプライバシー侵害が日常茶飯事的に行われている社会をよく思っていないという理由からである。オレはそれを許していないよ、という意味を含めてのことである。オレはプロダクション等に所属せず、個人で自由に活動しているので、今のオレの立場でやれることは、玄人ぶらずにやっていくべきだと思っているし、少女単体には、オレしかいないのだから、オレが直接どんな問題にも出ていくしかない。そうゆう部分で、オレは逃げる気はないし、例えそれが素人であろうが、私人であろうが、許せないものは許せない、という意思表示は必要であると考え、行動している。ちなみに、感想や、意見は、自由だ。それをオレが、「悪口を書かれたから消せ」ということは、絶対に、ない。勝手に思ったことを言えばいい。自由だ。だが、その自由を履き違えないように。
人前に出る者のプライバシーは、一般人と比べれば、ないに等しいものなのかもしれないし、実際に多くの人がプライバシーや私生活を他人によって、晒されている。有名税といえばそうかもしれないが、それでも、人間の私生活というものがあるわけで、少なくとも、オレは自分の身は自分で守らなきゃならんし、この情報化社会と戦っていくよ、ということだ。匿名で何でも書けるというインターネットの特性にのっかって悪さをすることは許されないと思うし、責任を取らずに済むわけではないよ、ということは、言わなければいけないと思っている。――

ちゅーわけで、もう少しね、「みれる」客が入って欲しい。
それが本音。
客がバカになっていると感じている表現者は、オレだけではないだろうし、
この問題は、バカにさせてしまっている、我々にこそ問題があるはず。
社会背景や流行がどうにせよ、みれる奴はみれるし、実際、少女単体にも、そうゆうお客さんは、いる。
しかし、人を集めて何かを発表している以上、「金(きん)がどこにあるのかな〜」なんて探していても、仕方ないのだ。
とにかく、まずは、誰にでも、みにきてもらうしかない。

言わせてもらえれば、もっとまっすぐに、物事をみれないか?ということ。先入観を持たずに。
例えば、そうだな。
前のブログの記事にも書いたけど、マイナー調が物悲しいメロディーだ、というイメージも、外国音楽に傾倒してしまったがゆえのことだ、と。マイナー調は、悲しい音ではないんじゃないかな?どうだろう?
オレは、「こうでなきゃいけない」ということは、ないと思うんだよ。
だがしかし、オレも含め、人間は先入観や思い込みを強く持つ生き物であることも確か。弱いからね。理由が欲しかったり、納得のいく何かがないと不安になるからだったり、色々。
オレはもっとね、素直にやりたいんだな、物事。
そうゆうのも、自分が元々すごく差別的な人間だという背景もあるのかもしれんが・・・(今でも、か。)

まあ、つまりは、現代の人の多くは、固定概念が優先して、肝心な思想力が低下しているのは確かだと思うんだが、どうだろう。

※ちなみに、この記事内で、「節穴な客」として、個人のことを書きましたが、オレはそれでいいと思っているよ。オレは情報化社会と戦うよ。やりっぱなしは嫌なんだよ。
あと、著作物の転載や、二次使用も、勝手にしてはダメよ。使う時は、著作権を有する版元などから許可を得て使いましょう。ヨロシク。
未分類 | コメント(-) |トラックバック:0 | 2006/12/11(月) 23:57:38
この記事のトラックバックURL
http://koibitogasyougaisya.blog77.fc2.com/tb.php/302-0d70ccd1
トラックバック